8月6日
- Zero-CON 2日目。
この日は、盛りだくさんだった1日目に比べて見どころが少ないと感じていた。
それでもこの企画は興味を魅くものであった。
著名な(といっても実は私は無知なので知らない人ばかりだったが)翻訳者などが、
インターネットを通じて海外SFの情報を入手する方法を教えましょうという企画である。
しかし、中身はかなり濃くて、私などついていくことができないような感じだった。
アメリカの(?) SF 雑誌である LOCUS が紹介されたりしたが、
何でも、アメリカの著者や作品の紹介がかなり早く入手できる雑誌なのだそうだ。
インターネット上にもホームページを持っているそうだが、
いまだに雑誌の方が内容が濃いらしい。
なにはともあれ、昔のSF愛好家がいかにして本や情報を入手してきたかの
苦労が偲ばれる内容であった。
このあと、次の企画まで少しだけ間があったので、
ディーラーズルーム(小さい同人誌即売会みたいなもの)で、
昨日の小林めぐみのファンクラブのところに寄り、
10周年記念誌と彼女による未発表の作品の本を買う。
本人がブースにいたので、本にサインしてもらった。
まだ少し余裕があったので、4階のエスカレータの近くで売っていた
弁当のカレーライスを買って食べた。
- この企画は、特に海外でのセーラームーンの放映状況やファン活動などを紹介するという名目の上に、
海外で放送されたセーラームーンのビデオを紹介するという主旨のものであった。
セーラームーンは言うまでもなく、数年前に放映された超人気アニメであるが、
この作品は原作ともども海外にも輸出されている。
さて企画の方であるが、メインの参加者がどこかでつかまってしまったらしく、
なかなか来れなかった。その間にアメリカ / カナダで放映されたセーラームーンについての
情報が書かれたプリントや、
無印のセーラームーンのラスト近くにあったセーラー戦士たちが次々死んでいくときの時刻を
計って書かれた、彼女たちの死亡診断書のコピーがあったりもした。
アメリカでの放送では宗教や文化の違いから様々な変更がテレビ放映版に加えられていた。
まず、言いやすさの問題からだろうが、セーラー戦士たち(セーラー・スカウト)の
本名がそれぞれ変更されている。セーラー・ムーンといった名称はいっしょであるが。
(ちなみに、ニュースグループでの情報によると、
これはアメリカのセンスではなくて、日本の企業が売り込むときに
改名して送り込んだのだそうだ。)
あと、ゾイサイトは完全に女であるという設定になっている。
これはおかまやゲイなどが問題になるからだという。
S に至ってはみちるとはるかの関係が問題だったため、
放映すらされなかったのだが、SOS (Save Our Salormoon) という
サイトでのファンへの呼びかけによって S の放映も今年になって
実現したのだという。ただし、みちるとはるかのラブラブな関係は
カットされまくり、ふたりはいとこだという設定になっているの
だそうだ。
と、前置きがいろいろあったあとで、上映会となったのだが、
ビデオの調子が悪すぎる。
ついには私のとなりに座っていた一般参加者までがてつだって、
ラインの復旧をはかったが、どうしても音が出なかった。
(何度か、しばらく音が出るのだが、これからというところで、
音が途切れてしまうのだ。)
結局、ビデオの音声端子を拡声マイク用のスピーカにつなぐこと
で解決された。
残念なことに、その手伝っていた一般参加者は、
次の企画に行くらしく、すぐにそこを去らなければならなかった。
ちなみに、上映会は禁止されているが、少人数での観賞や
研究目的での上映は例外的にみとめられているらしい。
今回の上映会は研究目的での上映ということで、いろいろと
前振りが多かったのだ。
本編はというと、効果音やBGMがまったく違うので、まるで
別の作品を見ているような感じであった。
また、シーンの切り換えなど、解説者曰く、トランスフォーマー
みたいという感じであった。
オープニングは基本的にはムーンライト伝説なのだが、
もろにセーラムーンを連発しているし、セーラー戦士たちの
名前を連発しているところがあったりと、
これも別物という感じであった。
ビデオのトラブルで見ることができなかったのだが、
本当は東南アジアのセーラームーンのビデオもあったという
ことである。
これはまたの機会にということになった。
- 閉店まじかのカフェ・イエスハウスに寄ってから行った。
菅さんが出るというので行ったという感が強い企画である。
どうも考えることはみんないっしょみたいで、
司会のひとりも「菅さんのネームバリューはすごいや」とおっしゃってました。
この企画は3部構成になっていて、
まずは菅浩江の日本人補完計画ということで、
五代ゆうを相方に着物や舞についてのトーク。
次いで、田中啓文、田中哲弥によるラクゴの話。
そして、上の4人に牧野修を加えてボンテージ・ジャパネスクの話という構成でした。
日本人補完計画は菅浩江がメインのトークで、
五代ゆうがそれにつっこみを入れるはずだったのだが、
菅浩江はしゃべるしゃべる。
五代ゆうに口をはさめる暇をあたえないほどであった。
ここでは和服についての説明にはじまり、
舞についても、その着物についての話を中心に話が進んだ。
次いでラクゴの話では、W田中の話題が途中で何回もそれたが、
ふたりして、なんとか元にもどそうとしているようであった。
ボンテージ・ジャパネスクだが、
帯などきつく締められるときに快感がないのかとかといったような話がされた。
ここで、菅浩江は同じ着物を着ていても男役と女役が、
ひじが外側を向いているか内側を向いているかで演じ分けられる、
ことなど実演してみせた。
なんらかの加減で「うなじ」の話が出てきたので、
彼女が後を向いて首すじをみせてうなじの説明をしたのだが、
その最中にその写真を撮る人がいたりして、本人もおどろいてたりしました。
話題が話題だけに ^^;;;;
企画も終りに近づいていたときに、実行委員会の人がやってきて、
エンディングで2003年の SF 大会の投票があるとを告げていった。
- 私がその部屋についたときには、すでに会場の椅子はすべて
うまっていた。
後の方にいく分スペースがあったので、そこに陣取ることにした
細かい順番は憶えていないのだが、次回のSF大会(幕張)の紹介や、
2002年の島根の大会の説明がありました。(島根のはなんか心配。)
そのあと、このエンディングの目玉、2003年の大会の開催地の投票のための、
それぞれの候補地の説明がありました。
ひとつは大阪の完全都市型大会。そしてもうひとつは栃木の合宿型の大会でした。
個人的には夜が苦手なので、近いとはいえ、栃木よりは大阪の方がいいかな
と思ってましたが、どうなることやら。
その後、ようやっと Zero-CON の閉会式。
実行委員長の挨拶などがありました。
そして、エンディングの終ったあと、
いよいよ2003年大会の投票。
出口で投票用紙をわたされ、エレベータホールに用意されたテーブルの上で
候補地を記入し、投票しました。
これで第39回SF大会 Zero-CON は終了したのですが、
4階に行くと、時刊新聞の在庫放出(?)でエスカレータわきで
何人かで配ってました。時刊新聞ならぬち刊新聞なんてのもありました。
- 宇宙開発の部屋にはもうちょっとちゃんと参加したかったのですが、
断念しました。
私が行ったときにはロケットの比推力(平均噴射速度みたいなもの)の話から、
簡単なロケットを設計してみましょう、という話に発展していたり、
月のクレータの話をしていたりしました。
アーブ文化学院は、ハードSFのやつと机上理論の裏でやっていたので、
行けませんでした。
今思うと、机上理論をけってこちらに途中からでも参加していればよかったなと。
やっぱり、星海の紋章/戦旗はおもしろいですから。
同じころに星雲賞の受賞式もあったのですが、これも行けませんでした。
これは参加できなかったのではなくて、実際ちょっと参加できたものですが、
時刊新聞にひとつ記事をのっけました。
私は某コミック・クリエイションでのクリエイション・ニュースという
ものの常連なのですが、そのクリエイション・ニュースの元型となったのが
この時刊新聞なのだと聞いています。
これはもう、オリジナルには記事をのせないといけないなと、
「某即売会の時刊新聞もどきの常連」と書いたところ、
あちらさんも知っていたようで、
原稿を受けとった人は後で編集していた人に、
「お〜い、クリエイションの人」と声をかけていました。
この原稿の載った時刊新聞を私が入手したのは言うまでもありません ^^;;
敬称略
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