なんか連れと話していたら、京都の話題になって、平安京とか平城京は計画都市だね、という話から、江戸はどうなんだろう、という話になりました。
どうやら、家康公が江戸幕府を開いた当初は江戸の城下町は「の」の字型に形成された都市となっていたそうです。
ところが、江戸の大火で江戸の街が燃えてしまったあとに、延焼を食い止めるための空き地を作ったり、近くの大名を遠くに移動させたりして、そこからさらに江戸の街が新たに発展していったので、結果的には無計画な都市となったようです。
まぁ、関東大震災とか東京空襲とかでも焼け野原になったしなぁ。
まぁ、都心の方をうろついていても、どう考えても計画的に作られたように見えないところがあったしなぁ。
で、連れはネットで東京を中心とした街道を地図で見て楽しんでいました。田無のあたりで色んな街道が交差してるのですけど、そういえば田無は結構大きな宿場町だったんだよなぁ。ということで、色々とそういう街道が交差してるようなところを探してみたり。
そうこうしてるうちに、今度は東海道に沿って地図を西にたどってました。東海道沿いには明らかに昔宿場町だったり城下町だったり神社を中心とした町だったりした痕跡が地名に残っていたりするんですね。で、追分というところで東海道から分かれて伊勢の方に行くと。東海道の方はそのまま滋賀の大津の方を通って、京まで続いているのですね。
東海道そのものはかなり古くからあったそうで、昔は今の街道よりも広かったそうです。それが中世に一旦消失して、江戸の時代に入ってから整備しなおされたんだそうです。まぁ、戦国時代には勝手に他の国の軍勢が通ってくれては困るから大きな街道を寸断したんだろうなぁ。江戸時代にしても、東海道には色々と関所があって、勝手に民衆が移動しないようにしていたわけですけど。(箱根の関所とかは有名ですね。) それでもお伊勢参りだけは例外だったようですけど。
イスカンダルと言えばヤマト、と思ってしまうのは古い人で、最近では征服王イスカンダルのことが色々と話題になっています。
イスカンダル( اسكندر, Iskandar)はマケドニアのアレキサンダー大王のアラブ名のことで、AlexsandrosのAlがアラビア語の定冠詞と混同され、さらにkとsがひっくりかえってIskandarとなったとのこと。
アラブ世界が東にのびるに従って、東南アジアでも人名としても広まっていったんだそうです。
ちなみに、インドの神のうちのスカンダの名称もイスカンダルから来てるという説があって、スカンダは仏教に入って韋駄天となったということです。
イスカンダルの名はコーランの中でも「ズルカルナイン」ذو القرنين Dhū al-Qarnaynと呼ばれる英雄として語られてるそうです。
まぁ、Fate/Zeroのライダーはアレクサンダーという感じではないのですけど、この伝説上のイスカンダルだとすると感じが合ってくるのかなぁ。
アッバース朝の時代にはイスカンダルはダーラーブ王(ダレイオス1世)の息子だとされ、幼少時にギリシャの方に亡命するんだそうですけど、そこで兵を挙げ、ダーラー王(ダレイオス3世)を廃して王位を取り戻したという伝承があったとか。なんか史実と伝承がごっちゃになってる例のひとつですね。
(以上、Wikipediaを参考にしました。)
ちなみに、このイスカンダル伝説の元となったアレクサンダー大王は正確にはアレクサンドロス3世なんだそうです。
古代ギリシャ語でἈλέξανδρος ὁ Μέγας、Ἀλέξανδρος Γ'
ラテン語転写でAleksandros ho Megas
英語ではAlexander the Greatですな。