今日は有楽町の出光美術館でやっている「悠久の美」展に行ってきました。
出光美術館に収蔵のコレクションの展示です。
最初は日本の室町時代から江戸時代にかけて、日本人によって愛用されていた中国の文物の展示です。巻物の画や茶碗、青磁器などが南宋時代から清の時代にかけて、中国から日本に入ってきていたのですね。最初は中国へのあこがれのものとしてあつかわれていたものも、やがて茶の湯の発展とともに、茶器として使えるものが珍重されるようになってきたようです。その中でも青磁器が多かったみたいですね。
2番目の展示は中国に時代を移して、中国の中での古代へのあこがれがテーマになっていました。
古来、中国では殷や周の時代にあこがれが強く、特に周の時代は手本とするものだという思想がありました。殷周から直接的に伝わっているものが、青銅器と玉です。青銅器については後述するとして、玉の方は、後の清の時代に使われていた翡翠と違ってもっと硬質の石で、古代中国では珍重されてきました。原始的な基本図形である円や方形を象った玉があったりします。
展示では、これらの青銅器や玉を、後世の中国で再現しようとしたあとが見られます。中国では最初は古来のものと同じ材質で模倣しようとしたのですけど、そのうちに、宋の時代になって陶器の釉薬に含まれていた鉄分が偶然に変化して青くなったものがはじまりである青磁器で模すようになったのでした。青銅器は青いし、玉も青っぽいので、それを当時の最高の技術力で再現したものだったのです。そのために、唐代には五脚の器だったものが、青銅器と同じく三脚の器として青磁器が作られたりしています。他の器も青銅器を模したものが結構あるみたいです。
そうした青磁器は宋や元の時代に多く作られたみたいです。
清の時代にも、青銅器を模したものが作られていたのですけど、青銅器の模様を間違って引用していたり、金などが凹みに埋め込まれいたりして、時代錯誤なものになっていたのですけど、それでもやっぱり殷周の時代へのあこがれは生き続けていたということなのですね。
3番目の展示が、今回の目玉である殷、周から春秋戦国時代までの青銅器の展示です。
おもしろいことに、今回の展示では、入場のときに作品リストといっしょに資料が渡されたのですけど、それに青銅器の種類やその形状の図などが入っていたのです。普通、この手の展示のときはパネルで説明するだけでその説明が手元に残らないのですけど、おもしろい趣向です。それを見ると本当にそれぞれの青銅器の名称がその形状を表す象形文字から来てることがわかります。その大半が今は使われていない文字なので、ネットで使う文字では表現できないのですけど、今でも使われる文字としては「豆」とう器は本当にこの字みたいな形をしてるんです。(マメという意味はこの文字と同じ発音なので、あとからこの文字の意味として付加されたもので、本来はこの器の意味だったのです。) 他にも、「鼎」(てい)なんかは有名ですよね。三脚の器です。「鬲」(れき)なんかも三脚の器です。形は想像できませんけど「爵」(しゃく)なんかは酒を温めておくための容器で、これも青銅器の展示では良く見られます。
殷周の青銅器には饕餮文(とうてつもん)という文様がよく見られるのですけど、当時の空想上の神像を表したものらしいですね。さらに き鳳 という空想上の鶏の文様や き龍 という空想上の動物の文様も良く見られるのですけど、これらは後に鳳凰や龍へと発展していくもので、饕餮文の下に位置付けられる神に相当するんだそうです。
殷周時代のものはそのまま饕餮文や き鳳 や き龍 が使われているのですけど、春秋戦国時代になっていくと、文様は複雑になっていきますけど、雷文の組合せになっていくみたいですね。
展示の中に、ふくろう を模した青銅器があったり、怪獣をあらわす青銅器があったり、それから明かに遊牧民が使う袋みたいな形をした青銅器とかありました。
ここの展示では説明されていなかったのですけど、秦の時代に一旦それらの文化は途絶してるんですよね。以前、別の所で見た兵馬俑の展示のときに見られる文化はそれまでのものとはかなり違うものです。そして、その展示のときにあった漢の時代の人物像は、同じ文化か、といほど退化したものになっていました。
同じようなことが、今回の展示でも見えました。漢の時代にも古代の青銅器を模して土器や青銅器を当時の考え方のもとに作っているのですけど、昔の精巧な意匠はそこにはすでに見られなくなっていたのでした。
漢の時代には文字が発達したのですけど、文字は形として残るのに対して青銅器や陶器の製造技術は無形の技術なので、一旦失われるとそれを取り戻すことは困難になってしまうのですね。
今回の2番目の展示のところには、殷の時代よりも古い、夏王朝のものではないかとされる二里頭文化の土器や、さらにそれを遡る文化の時代の土器も展示されていました。中国ではまさに5000年も昔から、土器に対して三脚の安定した、複雑な形状をしたものを作っていたのですね。そして、その土器の技術が青銅器へと引き継がれていったみたいです。そういうのを見ると、まさに中国5000年の歴史、という感じですね。
出光美術館の展示は、前世紀に中国で発掘されたものを収集したものらしいです。明治時代以降、それまでの中国の文物への物の見方と違った価値観で古代の文物を見るようになって、それで多くの実業家が中国の発掘品を収集したらしいです。出光美術館のものはそのうちのひとつみたいですね。展示は、土中にあったとは思えないほど保存状態の良いものが多かったです。
今回の展示を見てわかるように、それらの収集は無秩序に行われたものではなく、意図的に整理されて収集されていたものだということがわかります。そういう意思が読み取れるということでよい展示だったのではないかと思います。
展示自体は6月10日までやっています。興味を持たれた方はどうぞ。
で、やっぱり見て回るのに2時間はかかるんだよなぁ。
今日は出発が遅れたので、昼を新宿のシディークで食べて、それから有楽町に行っていたのですけど、ミュージアムショップとかを見てるうちに、もう閉館の時間がすぐそこまで来ていました ^^;;;
連れはそのまま某所のパーティーに行くので、銀座線で赤坂見附までいっしょに行って、そこで別行動としました。
私の方は新宿に寄って、ちょっと腹を空かせてから夕飯を取って、それで帰りました。
かなり疲れたなぁ。
早く寝なくちゃ。