歴史秘話ヒストリアで卑弥呼のことをやっていました。
以前も、纒向遺跡の関連で、桃の種が大量に発見されたことから卑弥呼が柔術としての鬼道を行っていたのではないか、ということを紹介していましたが、今回は耶馬台国そのものについての紹介。
最近は北九州から近畿の纒向に遷都したという説があるみたいですね。
卑弥呼のいたのは3世紀ごろとされていますが、2世紀ごろにあった伊都国(福岡県糸島市と紹介されていた)の遺跡の規模がかなり大きく、当時としては最大規模であったことと、様式が纒向と似ていたことから、ここの墳墓に祀られているのが卑弥呼の母親もしくは姉であった可能性があると。で、卑弥呼は最初この伊都国で女王となり、纒向のある奈良の方に遷都したという説です。卑弥呼は没後九州に戻って祀られたという説もあるようで。
その一方で、九州の遺跡の鏡などの遺構は、制作されたのは2世紀だが、実際に用いられたのは3世紀の卑弥呼の時代であって、そのことから九州に耶馬台国があった、という説もあるようです。
調べてみたら、纒向遺跡が3世紀だという放射能同位体による測定も、その結果を疑う説もあるようで、まだまだ色々とありそうですね。
それでも、この時代に関しての実際の遺跡の調査などが進むことで、新しい事実が浮び上がっていくというのはおもしろいですね。
おそらく、本来は天皇家の古墳にも調査の手が入ることが望ましいのでしょうが、今は禁止されていますからねぇ。(それにしても、分断や合流や分岐などがあったとしても、天皇という制度がこの時代から続いているという事実自体は驚異的なことですね。血筋的に一つだという確証がなくても、制度として続いているひとつの王朝としては、世界最長だということです。メソポタミアやエジプトの王朝はどうだったんだろ? 多分、この最長と言ってるのは紀元後のことだと思うのですが。。。)