今日は時間があったので、銀座の松屋でやっている水木しげる展に行ったのです。そしたら同じフロアで「君の名は。」展もやっていて。
こんな機会は滅多に無いや、と両方行くことに。
で、まずは「君の名は。」展の方を。
イメージボードや企画書からはじまって絵コンテが。かなり細かい動作まで指定されているんですね。最近の絵コンテとか見たことなかったからな。で、独特だったのは絵コンテの絵をそれぞれの尺の通りに撮影したビデオコンテの展示。ものすごく映画の雰囲気が伝わってきました。
キャラ設定とか美術とか、定番のものですが、いわゆる設定関連の展示がされていたものです。
三葉の髪の結び方の設定もありましたが、連れがこれだと髪が止まらないんだよなぁ、と言っていました(←試した人)。いや、それは髪質が違うからでしょ。。
やっぱり新海監督自身の手によるビデオコンテのインパクトは大きいですね。
三葉たちの舞のシーンは実際に舞をしているところを撮影して、それを元にビデオコンテを起こしていたみたいです。
20日までやっているので、興味ある方はどうぞ。
で、水木しげる展。
こちらは招待券をもらっていたんで、それでやっていることを知ったのでした。
水木しげるの生涯について振り返るものでした。
小さいころは絵のうまさから天才少年と呼ばれていたし、NHKのドラマにもなった のんのん婆 に妖怪のことを聞いたりしていました。
将来のころを夢見ていたのが徴兵によって夢が砕かれて。元はラッパ吹きだったのが、下手だったのでやめたいと言ったら南方の激戦地に飛ばされることになったのですね。そこで攻撃の際に左手を失うことになりました。
戦後は紙芝居作家や貸本漫画の制作をしたりして生計を立てていました。結婚したのもこのころです。これも NHK のドラマで ゲゲゲの女房 として放映されました。
このころは墓場の鬼太郎(ゲゲゲの鬼太郎の原形)とかカッパの三平といった後のヒット作の原形も作られていましたが、その一方で戦争のドキュメンタリー漫画も発表していたそうです。絵柄は激しく違う物を同時に描いていたようです。
そして、ともかく線が細かく丁寧で美しいものになっています。修正のホワイトが全然無いような状態だったし。鬼太郎たちのとぼけたデザインに見慣れていると見逃すのですが、実は背景やモブなどにとても繊細で写実的な絵を用いています。通常、手書のアミ掛けは結構荒いものなのですが、それこそ印刷に出ないのではないかというほどの細い線を、非常に精密に、美しく引いています。これはアミ掛けじゃなくて、いわゆるところのハッチングですね。むしろ。
長い間貧乏に苦しめられましたが、漫画のテレビくんの成功とゲゲゲの鬼太郎のヒットで一躍売れっ子となり忙しい神に支配されていて。そもそも40代になってから漫画家をはじめていたので、かなりの重労働だったらしいです。
50代で仕事の量を意図的に減らすようにして、自分のペースで仕事をするようになります。水木しげるの名言にはユルく生きるようにといった感じの言葉が多いですが、それはこれだけ苦労してきた人だからこその重みがあるんですね。
前、どこかで見た水木しげるが手塚治虫や石ノ森章太郎と話していたときのことを描いた漫画を見たことがありますが、良く食べ良く寝ていた年配の水木しげるの方が、手塚や石ノ森らよりも長く生きている、というところが最後のコマになっていたと思いました。
そして、2015年の末でしたっけ。水木しげるは多臓器障害で亡くなりました。みんなが言っていますが、あちらの世界に移り住むことにしたのですね。
絵馬に描かれた、水木しげるへ宛てたメッセージのコーナーで締めくくられていました。
銀座での展示は20日までですが、そのあと4月5日~4月19日まで梅田で、4月26日~5月8日まで京都で、7月26日~8月14日まで神戸、10月27日~12月10日まで福岡、翌4月28日~6月10日まで松坂屋美術館で、7月11日~9月2日まで沖縄で開催されることになっています。