今朝は新宿の医者でした。今朝、朝食を食べようとする前に、今日検査だったことを思い出しあやうく食べなかったり。ということで血を抜かれてきました。ロンドン行ったりなんやらで色々とリズムが崩れてきていたりするから結果はあまり良くないんだろうな、と予想。
なんか調子が悪かったので、とても独立の作品を仕上げるだけの気力が出せないということで、早々に今日は書道に行かない宣言。
でも、昼はがっつり くら寿司 にでも行こうと思ったのですけど、くら寿司に着いたところで連れがサイフを持ってきてなかったことが判明。ガーン、ショックー。
ということで、そのまま上北台まで行ってそこのマックダナーで昼を食べました。マックダナーだと携帯のEdyが使えるから現金がなくても食べられるのです。
帰りにPC DEPOに寄ってみました。お金ないけど。ネットと抱き合わせの安いやつないかなと探していたのですけど、まぁ、あるっちゃああるけど微妙? 12月に奥日光に行くことになっているのですけど、そこで使えるWiFi環境あるかなと思ったのですけど。どうにも奥日光の方はEMもWiMAXXもつながらないみたいです。DoCoMoはつながるみたいだけど、うちはNTT環境がまったくないので、高くつくだろうということみたいですね。
家に帰ってから、たまっていた録画のうちのひとつ ちはやぶる の1話を見ました。かるた(百人一首)の話です。
そのあと15時までソファで横になって、15時におやつ。
東村山の地酒酒まんじゅうをこの前の地蔵祭りのときに買ってきてあったのですけど、それを食べました。一緒に飲んだのは狭山茶じゃなくて静岡茶だったのですけど、おいっかったです。
それからしばらくソファで横になりました。まぁ、なにせ洗濯物でいっぱいになっているところの端の方で横になっていたので、体が痛くて眠ることはできませんでしたが、休むことはできました。
ソファの中でつらつらと、昔の欧州旅行のことなんかを思い出していたりしました。20年前にはじめて海外旅行に行ったころのことです。フランスのパリでは着くなり早々に地下鉄がストで動いておらず、予定していたホテルにたどりつくことができなかったので、Gare d'Est (東駅)のインフォメーションでホテルを探してもらってそれで泊まったことを思い出します。2泊してからすぐにパリを脱出してしまって、そのままBretagneに移動したんだよなぁ。そこからSNCFで大西洋に沿って南下し、大陸を横切ってMarseilleに行ったのですけど、今も変わらないかどうかわからないのですけど、あの当時はパリを経由しない地方同士の移動はかなり不便で、丸一昼夜かかった記憶があります。途中でBordeauとか経由したっけなぁ。(駅でワインの小瓶を買っただけでしたが。) Marseilleに着いたころにはすでにかなりくたびれた格好をしていたと思うので、それほど危険を省みらずに駅前のアラブ街の安宿に宿泊したのでした。一泊63フランぐらいだったかなぁ。確かフランは大体1/10ポンドぐらいでポンドが260円だったからフランは24円ぐらいだったかなぁ。で、確かドイツマルクが1/3ポンドぐらいだったから80円かな。朝食は簡単なフランス式のやつ。固いバゲットのトーストと、Cafe au laitが出るだけのものです。Marseilleからは日帰りでArlesとかAix-en-Provenceに行ったりしたものだったなぁ。Marseilleでは旧港の方のレストランでブイヤベースを食べたりもしました。食べ切れなかったけど。Marseilleから夜行を北上して、それからDeutchlandに入ったんだっけなぁ。当時、フランス語は大学の第2外国語で習っただけだったのですけど、ドイツ語の方は高校のころからNHKのテレビ ドイツ語会話を見ていたもので、結構わかったんですよね。列車の中でドイツ語会話のゲストによく似た車掌さんがユーレイルパスを確認に来たときも、なんか言葉が通じる国に来てほっとしたものでした。ドイツではHeiderbergとかMunchenとかTrierとかBerlinとか行きました。途中、イタリアの方に抜けるつもりでアルプスを夜行で抜けたのですけど、言葉が通じないし、ローマからロンドンへの飛行機のリコンファームに失敗してしまったので、ローマのすぐ手前まで来ていながら、そのまますごすごと引き上げてきたのでした。確かAssisiまで行ったんだったっけなぁ。Firenzeまで戻って、そこから夜行をコンパートメントでドイツまで戻ったのでした。イタリアの方は治安があまり良くなく、よく夜行で盗難があるという話を聞いていたので冷や冷やものでしたよ。行きの方は寝台列車を予約して、荷物は預けてしまっていたのでそれほど心配しなかったのですけど。重いバゲジを上の棚に上げて、鎖でしばってそれで丸くなって眠りました。(あとで気付いたのですけど、鎖はちゃんとからまっていませんでした。) Kolnは乗り換えだけに通過しました。Kolnの大聖堂は列車の中から見ました。列車にいっしょに乗ってきた看護婦だというドイツの娘と片言の英語で話したりしましたっけ。どこだったかで乗り換えて、Munchenに戻ったのですけど、その時にいっしょの列車に乗ったのはBeninの学生(?)でした。もっと英語を勉強しないとだめだと言われてしまいました。彼とはMunchenの駅で別れ、街中をうろついてから、夜行で西Berlinへ。当時、ドイツはまだベルリンの壁崩壊からそれほど日が経ってってなく、まだ東西のBerlinは当時の面影を残していました。Berlinでは荷物をあずけて宿泊しようとしたのですけど、昼ごろに着いたのでコインロッカーはいっぱいだったし、駅では荷物をあずかってくれないしで、結局重いバゲジをころがしながら街をまわるハメになりました。U-Bahnとか使って東Berlinも見てきました。ブランデンブルク門も通ったし、壁の残骸も見ることができました。当時の東Berlinはなんか埃をかぶったような感じでした。所々に残る案内板にキリル文字が見えたことが東側であったことの名残りでした。結局、宿は一泊の料金が高く、旅程も後半になっていて残金が気になっていたころだったので、宿泊はあきらめました。で、夜行を乗り継いでTrierへ。途中で東ドイツから西へ移住するんだという男性と同室になり、片言で情報を交換したりししました。私の持っていたThomas Cookの時刻表に興味を示していて、それで時刻を調べたりしていました。当時は東から西への人口の流出が続いていたころなんですよねぇ。Trierからは日帰りでLuxenburgまで行ってきました。ここは国のはざまにある国で、レストランとかでも英独仏のどれでも使えるのでした。Trierで何泊かしてから、大陸を横断してParisへ。でもここでもまたストで、そこで立ち往生してしまいました。Gare de Nordの駅前には似たような境遇の人が何人かいたので、しばらく駅前のCafeに入ってそこでだべってました。となりに東ドイツ出身の老人がいたのですけど、色々と話しかけらましたがよくわからなかったのを憶えています。Gare de Nordのシャッターが開いたところで、始発までのあいだみんなで床でごろ寝してました。英国に行くという英国人のふたり連れがいたので、彼等といっしょにSNCFの列車に乗ってドーヴァー海峡の方まで行き、そこからフェリーで英国に入国したのでした。
色々とすっとばしたけど、なにせ1カ月半の旅行だったからなぁ。あんな旅行はもう二度とできないだろうなぁ。
えっと、ソファで横になっていたんでしたよね。
それから19時ごろに起きてきて、くら寿司 リベンジ。今度は予約入れてあったし、サイフもちゃんと用意していました。
でも帰りに雨に降られたし。でも自転車じゃないと行けないんですよねぇ。
家に帰って、シャワーであたたまって、それからネットしてます。
明日は楽器フェアだ。
>くら寿司 <br>寿司を食べると、ガシャポンできるのでイイ(//▽//)
5皿ごとに出てくるんですよね。