今日も調子が悪くて家で寝ていました。
出社するかどうか考えあぐねていたときに、茨城県沖でマグニチュード5.4の地震がありました。揺れている時間は短かったのですけど、それなりに揺れたな。うちのあたりでは震度2だったみたいですけど、東海村のあたりでは震度5弱だったらしいです。今回の地震での津波や原子力施設への影響はなかったようです。
で、寝ていました。
昼にごはんのために起きてきて、ちょっとテレビを見ていたら、ちょうど国会中継で。頭の悪い議員が原子力安全委員会の会長である班目氏を問い詰めていたのですけど、あれはほとんど私怨だよなぁ。東海村のあたりの出身らしいです。まぁ、こういうところで地元のことを考えていることをアピールして票につなげたいのでしょうけどねぇ。原発事故関連では当時官房長官をつとめていた枝野氏にも質問が集中していましたが、枝野氏はやっぱりはっきと物を言う人だなぁ。今あのときのような震災があったときにも首相に現場に行くことを進言するのかという質問に対して、きっぱりと自分が行くと話していました。まぁ、あの当時は枝野氏はスポークスマンとして東京を離れることができなかったのだから、当時の菅首相が行くしかなかったということみたいですね。
途中で切り上げてまた寝ました。
夕方に起きてきて、夕飯はおうちカレーライス。
そのあとネットを巡回してるうちにテレビではブラタモリがはじまりました。オープニングではなんと久保田アナウンサーが いいとも のスタジオまでおじゃまして、控え室のタモリを迎えに行っていました。今日は新宿ということで。昔は、今の丸の内線の新宿御苑駅から新宿三丁目駅までの間が内藤新宿という宿場町っだったということで、江戸時代の新宿は今よりも東の方で発展していたのですね。あのあたりは昔甲州街道だったということです。それが新宿三丁目あたりにある追分で青梅街道と甲州街道に分岐してるということです。今も追分だんごの店があるところです。ブラタモリといえば鉄道ですが、今回は京王電鉄。京王線の新宿駅は開業当初は追分のあたりにあったということらしいです。その当時にはすでに国鉄の新宿駅とかができていたのですけど、京王電鉄の創業者の考えでは内藤新宿の方が中心だということだったようです。それが、甲州街道の坂のところに駅が移動したのですけど、戦時中に京王線の変電所が空襲にあったということで、電力不足で坂をのぼれなくなってしまったとか。それで新宿の西口に駅を移したということだそうです。まだ路面電車の時代だったのですけど、交通量の増加とともに路面電車はじゃまな存在となり、東京オリンピックを契機に地下に駅が作られることとなったとか。タモリが学生のころには京王線に初台の駅があったのですけど、今は京王新線の方に移動してしまっています。その京王線の初台の駅のあとが残ってるということでタモリたちが行っていました。京王線の新宿駅も昔は線路が4本通っていたということなのですけど、利用者の増加とともに、車両の数を増やして線路の数を減らしたんだそうです。今もその幻の線路のあとが残っていました。来週も新宿だそうですね。今度は歌舞伎町とか都庁とかに潜入するみたいです。