今日は午前中は寝ていました。
昼はおうちてんぷらそば。以前、生協でえび天を買ってあったものですから。
そのあとしばらくまったりしてから、書道のために田無へ。
今日も競書の試験で、課題の臨書をやっていました。鄭羲下碑は一応楷書なんですけど、隷書や篆書の筆法も入っているんですよね。
それにしても、日本では筆管を倒して書くのが一般的なんですけど、中国では、少なくとも現代の中国では筆管を立てて書くんですよね。まぁ、日本で筆管を倒すのは、その方が強い線とか柔らかい線が出て、筆を立てて吊り上げた線との対比を出すためなんですけど。以前、中国物産展で筆を売っていた中国の人に、筆は倒してはいけないと怒られました。それはもう書ではないとまで言われましたよ。
実際問題として、中国の古典の時代にはどうだったのでしょうか。
もし仮に字を書くときに筆の下の方を持ち、えんぴつのようにして握っていたとすると、筆管は自然に右に倒れます。そういう意味では筆管を倒すというのは自然な書き方であるというようにも取れます。
その一方で、筆の上の方を持って書いた場合、筆管は立ってきます。少なくとも、木簡などは左手で木簡を持って筆を木簡の面に対して立てて書いていたと考えられます。また、昔の一般的な書物の書き方であった巻物で書くとき、左手で紙の巻かれた部分を持ち、広げた部分に対して筆を立てて書くことになります。
筆を倒して書くというのは一体いつの時代から行われてきたんでしょうかねぇ。
そもそも、王羲之などの用筆がどのようであったかというのは諸説があるみたいですしね。「墨」にあった記事では、右に引く線において筆管を左に若干傾けるとありましたが、私が習った方法では、羲之は筆管を右にしか倒さないと教えられました。顔真卿の新法においてはじめて逆筆(左に筆管を傾けること)があらわれ、空海は八方に自在に倒していたということ。
でも、ネットで色々と調べてみると、どうにも諸説入り乱れていて、かなり混乱をまねきます。
結局、色々な書法の本を読むしかないのかなぁ。