今朝は医者で首の牽引をしてもらってきました。
微妙に雨が降っていたのですけど、微妙すぎて傘を持って帰るのを忘れそうになるほどでした。
で、上野の国立科学博物館でやっている特別展、グレートジャーニーに行ってきました。
アフリカで発生した人類が数万年をかけて世界中に広まったその足跡を追いつつ、それぞれの地で大地に根差して生きる人たちについてレポートしたものでした。
導入は、アフリカのタンザニアに残されていた足跡。300万年前の猿人の家族の足跡だそうです。彼等はかつて言われていたように前のめりにして歩いていたのではなく、完全に立ち上がって二足歩行していたのでした。やがて彼等は人類にまで進化し、アフリカから世界中に広まりはじめたのが5,6万年ほど前。大地を伝い、時には海や氷原を渡り世界の隅々まで行きわたったのでした。
そんな彼等のもとに、探検家で医師で美術大学教授の関野吉晴氏が、自分の足で、行き、そして現地の人々と溶け合い、彼等のことを知ってきたことを、基本的にパネルで、時々その品々や標本などを含めて展示してありました。
なんかフジテレビでやっていた特集みたいですね。
展示の地域は主としてアンデス、アマゾン、シベリアなどでした。
色々な映像とかも見所がありました。
前評判があったのはチリ北部の地域で5000年前に作られた、世界で一番古い人工的なミイラ。エジプトよりも古いそうです。当時火山だかの影響で砒素に触れることが多くなっていたことから、幼児の死亡が相次ぎ、子供たちのことを思ってミイラを作成したみたいですね。
首狩り族の作った首も展示されていました。頭骨を抜き去り、後頭部から皮を巻き込むようにして作成された首はかなり小さくなっています。19世紀終盤ごろに、物めずらしさから欧米の人たちが買いあさったということですが、かつて首を切るというのは世界中にあった風習なんですよね。戦国時代の日本だって、敵武将の首を上げるということをやりましたし、現在の文明国も、かつては同じようなことをやったんですよね。いいとか悪いとかという意味ではなくて、人間の営みのひとつとしてとらえられていたと。
人間の営みといえば、各地での自然と密着した食べもののことも多く展示されていました。動物の腹をかっさばいて食べるというのはかつてはあたりまえのことでした。彼らは自分たちの足りる分だけを取って、それ以上は取ろうとはしません。それによって自然のバランスが保たれてきました。
彼らは急ぎません。関野氏が訪れた集落は、ほとんどが彼を受け入れてくれました。
展示での紹介のひとつに、モンゴルの遊牧民の少女のことがありました。まぁ、本筋からははずれてしまうのですけど、彼女は関野氏と会って、日本との通訳になろうと決心しました。少女の母親は、関野氏に旅のための馬をくれました。次の年に関野氏が同じ遊牧民の住居に行ったとき、その母親は馬から落ちて亡くなっていたそうです。保険がはらえないので、病院で診察を受けられず、それで亡くなったそうです。5年後、関野氏はまたその居住地を訪れました。少女が小学校を卒業するあたりのことでした。ところが、彼が到着したとき、少女は事故で亡くなってしまっていました。彼が到着する直前のことだったみたいです。少女は関野氏と再会するのを楽しみにしていたそうです。
なんか最近、ものすごく涙脆いもので、それを見てから、そのあとの展示を見るたびに、ひとつひとつ感動して涙が浮んできましたよ。
関野氏が、この旅がはじまる前の旅で知り会った家族のことも紹介されていました。関野氏が名付けたトーチャンの一家です。そこの末の子供のゴロゴロは、関野氏がそこを訪れるたびに成長していき、今では40歳ぐらいとなっています。この40年のあいだに、その集落も大きく変わり、以前は数十日かけないと行けなかったところが数日でたどりつけるようになっていました。そして、ゴロゴロの息子は洋服を来てケータイを持っていました。もっともケータイの電波は届かないので、録音してある音楽を聞くために持っているんだとか。ゴロゴロは小さいときは、親の行動や自然を先生として、自然と共存して生きていくことを憶えました。そんなゴロゴロも今では学校のPTAにいるんだとか。
あまり展示からは読み取れなかったのですけど、展示のテーマのひとつとして、昔から自然と共存してきた人達がいるが、世界全体としては自然破壊が進み、必要なものだけで足りるという感覚を失ってきています。そういった現状に対して、今の私達は何ができるのか、という問い掛けがあったのでした。
関野氏は旅の終わりに、日本人のルーツについても調べてました。展示ではなかったのですが、北のサハリンからのルート、朝鮮半島からのルートに続き、インドネシアから海を渡って台湾を経由して石垣島に至る旅をしました。道具は手作りのカヌーだけ。GPSもコンパスも使わず、原始的な方法だけにたよって日本にたどりつこうとしました。船を作るところからして手作りでやりました。砂鉄をあつめて たたら 方式で鉄を加工し、鑿や斧などを作りました。その道具を使って木を切り、削ってカヌーを作ったのでした。その過程で、その旅をするためにどれだけの労力や資源を使うのかを体験しました。日本人のルーツとしては、朝鮮半島から来た人がメインなんですけど、弥生時代以前にも大陸からアフリカを発した人たちがやってきていました。中国で稲作が発生すると、それが伝来しました。それと同時期にベトナムでも稲作がはじまっていて、その因果関係が証明されています。台湾などの人たちのDNAの調査から、マレーシアやインドネシアの方面の人達とのつながりがあることがわかっています。これらの混じり合ったものとして日本人があるのですね。
展示の終わりに、最初のアフリカのタンザニアの足跡に戻りました。
足跡から再現した状況や、周囲から発見された猿人の骨からの復元を元に、様々な方面の知識を総動員して家族の歩いている様子を再現していました。非常に生き生きとした展示でした。
とにかく、今日の展示は満足感がいっぱいのものでした。
はふ。
上野公園の桜は散りはじめ。
ここしばらく寒い日が続いていたので、花が残っていたようです。
そろそろ桜の季節も終わりだなぁ。
>アフリカで発生した人類が<br>以前読んだSF「パラサイト・イヴ」でそんな描写がありましたです~♪
ここ10年ぐらいでほぼ定説化したみたいです。<br>以前は東アジアの人は北京原人から進化したと言われていましたが、アフリカからの新人が北京原人などを追いやったというのが現実のようです。