昨日、NHKでGoogleがやっていた書籍のスキャンについての問題について取り上げた番組をやっていました。
ちょうど同じタイミングで絵を無断転載された、という人がいたので気になってしまいました。
情報を自由に共有しあう状態というのはどうやらH.G.ウェルズあたりからある考えみたいですね。
情報や著作を自由にするのか守るのか、というのは非常に難しい問題です。
情報をわけへだてなく公開することで、それを自由に利用できるようになるわけではありますね。GNUとかも似たような考えではじめたんでしょうし。
でも、実際上は情報を公開したくない場合もあるし、自分の著作であることを表現する権利もあるわけですし。著作や作品の断片がネットで自由に出回った場合、そのソースはすぐにわからなくなってしまいますよね。
だから絵の無断転載とかの問題になるわけで。
Googleは無許可で大量の書籍をスキャンしはじめ、しかもそのあとで著作権者から和解も取りつけています。
番組では、こうしてスキャンされた情報が、一企業による営利目的でコントロールされていることに警鐘を鳴らしていました。どの情報を流すかをコントロールすることもできるし、どの情報を見たかもトレースできるわけで、段々とプライバシーがなくなっているわけです。
それに対して、嫌ならパソコンの電源を切って山に籠もる自由があると言う人がいましたが、現実問題として、全ての人がそのようにすることはもはや不可能です。そこに自由はないわけで。
現実問題として、一度ネットに出された情報は際限無く広がる可能性があります。時には故意に、時にはそれと気付かずに。
情報の信頼度もどんどん薄れてきます。
誰かが蘊蓄をたれても、その全てに対してrefenceをつけることは不可能です。今日も中央線の中のディスプレイで流れている番組を見ながら、色々と情報を流しているけど、こういうときって一々出典は示さないよなぁ、と見ていました。
著作を守るための法律そのものについても、そもそも法律や規約などはあふれかえるほどあるわけで、その全てを把握している普通の人がいるとは思えません。
もはや何が違法で、何ができて、何が守られているのかわからなくなっているだよなぁ。
ここしばらく、私も動画へのリンクを張っていますけど、そもそもそのリンク先が違法動画かどうかの判断はつきにくいし、規約もあちこちの規約がからみあってきているので色々と判断がつきにくい。
ある意味、もうあともどりできない状態にまでなってきているのかもしれません。