今朝は医者に行ってきたのですが、思ったよりも早く終わりました。
ここらへんの人はみんなあらかじめ順番を書いて一旦家に帰っているのですが、今日はたまたま診療開始時刻よりも少しあとに来る人が多かったので、先に診察してもらえたのでした。
おかげでそのあと時間が取れないと思っていたのがかなり取れるようになったし。
一般公募の臨書のところは2週やってるけどそれぞれ違う組になっています。
今日明日と忙しいので行けないと思ったのですが、医者が早く終わったので行けるかと思いました。
で、改めてリストを見たら、うちの教室の人は今回はほとんど受かってないし。。
来週は二人受かってるから来週行こう。
今日はこのあとで書道教室の方にも行かないといけないので、無理はしたくない。
(あとで聞いたら今日は結構受かってる人がいたみたいでした。。。)
Travis CI 関連の pull request があったのですが、それにちょっとわからないところがあったのでissue に追記し
ついでに package install 時の辞書のインストールにからむ内容を issue に発行。さらには実験的に作られている SKK-JISYO の GitHub リポジトリの扱いについての issue も発行しておきました。
昼は宮鍋の幸衛門カフェで食べて、それからニトリでゴザクッションを買いました。リビングの椅子が夏には蒸れてしょうもないので通気性の良いものが欲しかったんです。昔もゴザのやつを使っていたのですが、そっちの方は分解してゴミと化していました。
そのあとで無線ルーターをみつくろいに。Bufferlo の超小型のやつがあって、うちの当面の目的には丁度良かったのと安かったので買ってしまいました。
今日は随意部の分として蘭亭序の臨書をしました。あまりにも基本的すぎてむしろやる人が少ないという王羲之の蘭亭序です。
今日はめずらしいことに先生が私の書いた作品に見惚れていました。もっとも、しばらく前から篆書に関しては先生よりも私の方がうまい、と先生自身が話していたのではありますが。枯樹賦の臨書をやったあたりから、こっちの方も案外相性がいいのかもね、とは言われていたのですが、それもあって蘭亭序を題材に取ってみたのでした。
写真のは写りが悪いですがね。。この作品は全体咸としてはバランスに欠けていますが、個々の字は良いといことだったので、スキャンして文字をバラしたデータは作っていたりします。やっぱりスキャンしたものの方が墨の感じとか出ますね。半紙がスキャナーよりもでかいんでいつもスキャンできないんですよ。。。
法帖として選んだのは、蘭亭序の中でも有名な八柱本の一~三のうちの一、別名、張金界奴本と呼ばれるもの。
八柱本第三は神龍半印本と呼ばれて珍重されているものですが、これはいわゆる双鉤填墨、つまり上からなぞって墨を塗って書かれた手本用の物だったりします。線がわかりやすい反面、筆路がかなり不自然になっているのが感じ取れます。
八柱本第二は唐の三大書家の一人褚遂良の臨書だと言われた時期もあったようですが、今ではその字形から宋より後年の作と言われています。
八柱本第一は伝承によると唐の三大書家の一人虞世南と言われていましたが、結構疑わしいところもあるようで。墨が抜け落ちてしまってるのでかなり不鮮明なところがあります。
ただ、今回は八柱本第一が肉筆に近い感じがすると考えて選んだのでした。
まぁ、王羲之自身は東晋の人で、唐よりも昔に活躍していたのですが、唐の太宗皇帝が王羲之の書を珍重し、著名な書家にその作品を学ばせて広めたことから有名になりました。ただ、王羲之の真蹟はひとつも残存しておらず、全てが謄模か臨書なので、その本当の姿を伺い知ることはできなくなっています。
まぁ、王羲之の作品が最高とするのは、ある程度はとらえる側の幻想なのではないかとは思うんですが。王羲之を好む書家はその作品の向うに自身の思い描く理想を見て、その理想をめざして臨書をしてきたというのが真実なのではないかと。
実際のところ、王羲之を信望する時代と、そこに価値を見い出さない時代は常に交互にやってきていて、どちらかに振れる傾向があるみたいですね。理想を見るのと、その加熱しすぎた信望への反省があったりとを繰り返していたのですね。
で。
今回、今日書いたのの前にも一回書いたのですが、その時は線の流れが読めず、とても不自然な感じに取れました。ただその時は直前に篆書の半切をやっていて、そのリズムに慣れてしまっていたので、違うリズムを持つ蘭亭序に入っていけなかったんじゃないかなぁ。
今日はむしろ結構線と線の連結が前よりは見えた気がします。