昼ごろに病院に着いて父の様子を見守っていました。今日も仕事は休みました。
昨日よりもかなり弱まっていて、表情の変化も少なく、苦しそうにしています。
途中からモルヒネの量を増量してもらって、苦痛は取り除けたようですが、意識レベルがかなり低下して、声に対する反応もなくなってきました。昨日よりも痰がからむ量が多くなっていて、それが増えても死亡の原因になるということで何度も吸引をしていました。
午後から徐々に呼吸が浅くなり、血中酸素濃度が低下していたのですが、血中酸素濃度がある程度低下すると多臓器不全をおこし、それが死につながるとのことです。
段々と父の息も浅くなってきていたのですが、21時ごろに仕事から帰ってきた弟とバトンタッチして一旦家に帰りました。
家で夕食を食べてるところに弟から電話で、脈拍がだんだん弱まってきているので、そろそろ危ないとの連絡がありました。
時間を見ると中野までの終電にギリギリまにあうようだったので、終電で中野にむかいました。
荻窪を過ぎたあたりで弟から電話があり、11月10日0時33分に父が永眠したこと伝えられました。享年83歳。あと1カ月と2日で84歳の誕生日でした。
チューブは取り除かれたということですが、諸々は長男が来てから、ということで私の到着待ちとなりました。
1時10分ごろに病院に到着し、父の遺体と対面しました。
ナースステーションに行くと、そのあと遺体の洗浄をしてそれから霊安室に移すということでした。
しばらく弟や母らと今後の話をしてるうちに遺体の処置が終わり、遺体といっしょに霊安室に移動しましいた。
コロナがひどいころは遺体とまともに対面できずにそのまま火葬されたということなので、今回は幸運だったのかもしれません。入院中の面会も、最初は許可されていなかったのですが、病院が面会を許可したあたりでうちは特例で人数や時間の制限がはずされた状態になっていたようです。
死亡時刻が夜中だったこともあるし、容態が悪化してからかなり急(土曜に容態が悪くなったので)なことだったので、遺体を1日ぐらいは霊安室(というかその後ろにある冷蔵庫)にあずかってくれる、ということでした。
2時すぎに解散して、母と弟は家に帰宅。私と連れはネカフェで仮眠を取ったのでした。