今日は四十九日の法要で興津まで行ってきました。
朝4時半に起き、簡単に支度をすませてから5時ごろに家を出て実家にまず移動しました。
古い位牌に新しい位牌、白木の位牌とまとめて、さらにお骨を持って弟の車に乗りました。
新宿の方から首都高に乗って、ぐるっとまわって東名に乗り、一路興津へ。
途中足柄のSAで朝食のために休憩し、興津の寺まで行きました。
式には家族の4人と、本家の大伯父のみが参加しました。
うちは曹洞宗なのですが、お経をとなえるときに真言が入っていたり参列者全員でお経をとなえたりとかするのが結構特徴的だったりします。般若心経とか観音経とか修証義とかですね。修証義というのは曹洞宗の開祖の道元の正法眼蔵を在家の信者向けにサマライズしたもので、在家信者のための日用経典とされているものらしいです。要するに、曹洞宗では南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経も唱えないのですが、そのかわり修証義をとなえるということなのでしょう。何回忌というときに毎回耳にしてきた経文でした。真言では唯一 おんかかかびさまえいそわか だけがわかりました。(おんきゃきゃきゃと聞こえたけど) 地蔵菩薩の真言ですね。
読経に続いて住職の説法があり、いつものことですが、法要というものは亡くなった人のためではなく、残された人たちのために行うものなのだ、ということが諭されました。
引き続いて納骨を。
あらかじめ石屋が墓石に戒名等を刻んでくれていたのですが、さらに墓石の前の板をはずして中に骨壺を納められるように準備してくれていました。
父の遺骨がそこにあらたに納められ、住職がお経をとなえて納骨の儀も終わりました。
本家の方の墓にもお参りしてから解散となりました。
服を着替えたりしたあとで、途中、東海道沿いの宮様饅頭の店に。ここは明治の折にとある宮様がおとずれたときに、幼い内親王も食べられるように小さくした饅頭を出したところ気に入られたという故事があり、それで宮様まんじうという名前が付けられたのだそうです。店内には昭和天皇が訪れたときのシャンが飾ってありました。そこで、昨日予約してあった宮様まんじうを買いました。小さい酒饅頭なのですが、ひと口大なのでぱくぱく食べられてしまいます。
静岡の方に移動して、丸子にある戦国時代からあるというとろろ飯の店丁子屋で昼を食べました。喰いごたえがあります。ここも東海道沿いの店で、近くに本陣跡とかの碑も残っていました。
静岡インターから東名に。
写真は富士川のSAから見た富士山です。(クリックででかくなります。) 今回は駿河湾を手前にした広い裾野を持つ富士山の姿も拝むことができました。
でも、どうやら事故で秦野のあたりから渋滞ができているみたいです。結構時間がたってるのに渋滞が解消しそうもないと判断して、途中から中央道に乗ることにしました。
昔は東名から中央道に行くのは地道を通らなくてはならずかなり面倒だったのですが、今はいくつかジャンクションができて結構便利になっています。うちらは御殿場ジャンクションから有料道路を乗り継いで中央道に乗ることになりました。
八王子の先も渋滞してるということだったので、八王子ジャンクションから圏央道に移り、入間まで行ってそこから高速を降りました。
そこから家の近くまで車で送ってもらい、家に帰りついたのは20時過ぎのことでした。
今日はかなり疲れました。