今日は上野の国立博物館平成館でやっている中国王朝の至宝展に行ってきました。
ゆうべはかなり遅かったので、今朝はなかなか起きられなかったのですけど、簡単に朝を食べてから上野まででかけました。
それにしても、間が悪かったですよね。この展示は日中国交正常化40周年を記念して開催されたものなのですけど、今回の騒ぎがなければかなりの人が集まっていただろうに。
まぁ、それでも結構人はいました。
展示はまずは四川にあった蜀の三星堆遺跡などの展示からはじまりました。蜀の地方にはかなり昔から文明があったらしいことがわかってきてるみたいです。今では4大文明という考えはもう使われてないらしいですね。古代蜀以前にあった文明はそれほど古いものだったみたいです。
それから夏や殷の展示。青銅器の展示が中心なのですけど、中には鼎の原型となった土器の展示もありました。周の時代の青銅器に比べるとまだ緻密さが少ないという感じがしました。それでも竜文とかがちゃんとあるんですよね。夏や夏の以前にあったらしい文明は紀元前25世紀まで遡れるらしいです。メソポタミアではバビロン王朝があった時代だし、エジプトでは古王朝ぐらいのことだったりします。
時代は周をすっとばして戦国時代へ。楚や斉、魯の展示です。特に南方にあった楚は中原の文化と一線を画すものだったようです。そういえば、今書道の稽古でやっている楚文字もかなり他と違うしなぁ。
そして、秦による中国のはじめての統一王朝の形成。兵馬俑とかからみ合った龍の像などが展示されていました。それにしても、中国は地方によって全く異る文化を持っていたんですよね。文字とかだって違ったわけだし。それを秦の始皇帝は無理矢理統一規格を押し通そうとしたわけで、考えてもみればよくもまぁできたものだと感心してしまいます。始皇帝がいかに強大な権力を持っていたかが窺えます。まぁ、それだけ強引にやっていたからこそ、秦はすぐに滅んでしまったわけですけどね。
そして、秦を受け継いだのが漢。漢は秦を反面教師としたためか、かなり穏便な支配をしていたんですよね。そのため、中国の王朝としては最長の400年も続いたわけですし。展示では漢の兵馬俑がありました。漢の俑は秦のものよりも小さく、またリアリティーにも欠けると言われますが、良く良く見ると顔付きなど結構リアルです。
それから南北朝時代へ。北朝は北の鮮卑の国だったのですけど、次第に漢化していきました。その一方で、南に押しやられた南朝の国は段々と独自の文化を築いていったらしいです。
そして、唐。唐には世界中から人や文化が流入してきていて、まさに世界帝国の様相を成していたようです。仏教系の展示がされていました。
それから最後が遼と宋。遼は夏に行った契丹のこと。類似した展示が結構ありました。宋の方も中国の文化を発展させていたのですね。
今回の展示で特徴的だったのは、2000年代になってから発掘された文物がかなりあったことです。まさに最新の発掘結果が展示されていたのです。これはすごいことだと思いません?
ショップでは普通の中国関係の展示のときによく見掛ける書道関連の販売がまったくなく、かなり感じが違っていました。小さな玉とか売っていたなぁ。(ただし、ものすごく高価。) 玉(硬玉)は古代中国で珍重されたものなんですよね。
今日は昼過ぎから見ていたのですけど、気付いたらもう16時。おう、なんてこったい。
今日は本館の方でやっている古代日本に関する展示も見るんだったのに。こっちの方は上の展示の半券でいっしょに見ることができるようになっています。
閉館まで1時間しかないのですけど、急いで回ってきました。
一番の目玉は出雲大社関連の展示。会場の壁の一方に古代の出雲大社の模型があったのですけど、とにかくでかい。
高さが48メートルもある、高層ビル並の建造物だったのです。高床式になっているのですけど、その柱の太さも尋常ではないです。
以前はそのような巨大な建造物は架空のものであろうと思われていたのですけど、近年、現在の出雲大社の近くでその当時の柱の一部が発見され、まさにこの巨大な建造物が実在していたらしいことがわかってきたのです。ちなみに、その柱の基部が展示されていたのですけど、直径1メートルもあるような巨木が3本、束ねられているんですよね。全体で直径3メートル近くあるみたいです。
別室では銅鐸や銅剣の展示もありました。
以前は地方によって独自の銅鐸や銅剣が作られていたものだと思われていたのですが、同じ製作者であることを示す記しがある物がみつかっていて、地方から出雲地方にそれらが集められていたということがわかってきているみたいです。
近年では大量に銅剣が出土したりしてるみたいですね。