今週はあまりにも調子が悪くて、今日はついにダウンして、一日寝てました。
このところ多いなぁ。
沈丁花の花が咲いているようです。あちこちで沈丁花の花の良い香りがしています。
ヒサカキの臭いもしはじめてるんですけどね。
それにしてもおかしい。
今日は一日寝ていたはずなのに、もう調子が悪くなりはじめているぞ。
何かあるのかなぁ。
衆院憲法審査会で、天皇を元首とすべしという話題があがっているようですが、私は個人的には反対です。
とは言っても、戦争を肯定するとかそういう話ではなく、別の理由でですが。
まぁ、天皇の英語訳がそもそもEmperorなわけで、その語からは海外の国の人は絶対に帝国主義を思い浮べるわけですよね。でも、そもそも天皇はemperorだったことは無いはずなんで。天皇制ができたばかりの奈良時代以前ならともかく、その後の歴史上では常に天皇は象徴的なものであって、実権は朝廷だったり幕府だったり、近代では明治政府とかだったりしたわけなんですよね。さすがに第一次第二次大戦のときは、天皇を皇帝として海外に宣言していましたけど、やっぱり実権は軍部にあったわけで。
そもそも、ローマの皇帝とか中国の皇帝とはあまりにもかけはなれた存在なんですよね、天皇って。
ローマの皇帝というのは王権の代用としての絶対君主なわけで、王という称号を廃した共和制ローマで受け入れられるような制度としてアウグストゥスが発明したものですよね。カエサルが独裁官ディクタトールとして反感を買ったので、それを穏便に支配しようとして作ったわけですから。それを継いだクラウディウスやカリグラやネロなどの治世によって暴君とかのイメージが定着しましたが、カエサル一族がネロで途絶えたあとは結構まともな政治をしていたみたいです。そして、システムとして安定できたから、その後の「帝国」に時代を継げたのでしょうね。
中国の始皇帝は、文化があまりにも違いすぎる中国のそれぞれの国を権力でまとめ上げるためのものとして皇帝を宣言しました。秦は始皇帝の威光の及ばない子孫たちのためにすぐに滅びましたが、漢や隋や唐、宋など、うまく仕組みを変えつつ、絶対権力者としての皇帝というシステムを維持したんですよね。まぁ、後世になって官僚や宦官の力が大きくなるに従って権力が落ちた時期もありますが。どっちにしろ、その権威があまりも大きかったせいで、中国の民衆は「支配される」ことに慣れてしまったということらしいです。(だから今の中国があるのね。)
日本の天皇は、名称こそ皇帝よりも上位のものといった感じでありながら、実態としては傀儡であることの方が多かったわけで。ただ、象徴としての地位はかなり確固としたものだったので、時の権力者は必ず天皇を頂こうとしてきたのですね。戦後、神としての地位を追いやられ人間天皇となったあとも、結局象徴として残ってるわけだし。
そもそも、天皇家というのは戸籍に入ってないんですよね。つまり日本人ではない、と。天皇家の人達は皇室典範でその行動を規制されるわけですけど、日本人としての基本的人権を確保されてるわけではないはず。まぁ、皇室典範を見たことがあるわけではないので、どういう定義になっているかは知らないのですけど、ある意味、まさに象徴なわけで。
そういう意味で、私はそん存在に意義は唱えないし、元首とすることには反対なのです。
むしろ、皇帝としての地位に近いのはアメリカの大統領の方だよなぁ。任期を限っているから、インペラトールというよりは独裁官か執政官の方が近いですけど。その権力は莫大なものがある、と。(議会の意向には逆らえませんけど ^^;;;)
ローマ法王ベネディクト16世が存命中に退位したことによる後任の法王に、アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が選ばれました。
新法王はフランシスコ1世を名乗ったそうです。
フランチェスコじゃなくてフランシスコなんだ。
バチカンのラテン語はイタリア語寄りだから、どちらかというとフランチェスコの方がしっくりくるけど。
イエズス会の人らしいです。
フランシスコの名前はイタリア中部アッシジの聖フランシスコ(1182年ごろ~1226)に由来するとか。
アッシジは実は足を踏み入れたことだけはあります。聖フランシスコのこともともかく、ローマへの足掛かりとして。その時は色々とあって、結局泊まらずに、そのまま夜行でドイツまで戻ってしまったので、イタリアは事実上行ったことない国になってますが……。
聖フランシスコは映画のブラザー・サン、シスター・ムーンのモデルになった人ですよね?確か。
当時、贅沢に走っていたカトリック教会のやりかたに異を唱え、清貧を通した人です。
そういう法王になるのかどうかはわかりませんけど……。