上野の東京国立博物館で開催されている「和様の書」展に行ってきました。
元々はあんまり興味なかったんですよね。日本の書には。
でも、先生に勧められていたので行ってみることにしたんです。
時代を追って展示されていましたが、大体平安時代と江戸時代の書の展示となっていました。
平安時代というと、最初に浮かぶのは弘法大師空海ですね。弘法も筆の誤りとか弘法筆を選ばず、などの諺でも有名ですが、日本における最初の書の有名人ですよね。遣唐使として中国に渡って、王羲之や顔真卿の書を学んだとされますが、日本に戻り、日本独自の書体を確立した人でもありました。
空海は空海・橘逸勢・嵯峨天皇の3人による三筆の一人としても数えられています。
その次の時代としては三跡と呼ばれる小野道風・藤原佐理・藤原行成の3人ですね。この3人の書はみんな展示されていました。
やがて平仮名が発明されて、天皇や貴族などの多くの知識人もかなを使うようになりました。おもしろいのは、漢文だけで文字を書いた部分とかなで書いた部分が交互に出てくるような作品が多く展示されていたことです。彼らは漢字もかなも同時に達者だったようです。
平安時代には多くの貴族たちによって個性的な書が展開されていきました。それらの多くは細かい断片に切り取られ、その部分が茶室に飾られる掛け軸になったり、断片を編集して本にしたりなどが行われましたので、完全な形で残っている作品は少ないようです。
経文などの展示もありました。以前法要のときに配られたお経の冊子にあった文字と似ています。ここに展示はありませんでしたが、そういえば空海の般若心経も残ってるんだったよなぁ。展示されていた経文では、何度も舎利弗(しゃりほつ)の名前が出てきました。仏陀の弟子のひとりであるシャーリープッタのことですね。般若心経にも出てきます。
書の多様化は続きましたが、室町時代に入ると書が通俗化し、個性的な作品がみられなくなっていきました。
江戸時代に入ってから書はまたあたらしい展開を見せます。それまでにないダイナミックな線を使ったり、屏風に大きな文字で書いたりといった作品があらわれました。よくかな作品として見ることのできるちらし書きとかもこの時代のスタイルじゃないかなぁ?
良く見てみると、全体的におもしろい展示でした。
最初の方の展示には、信長や秀吉、家康らの書き残した手紙などもありました。
それにしても、もったいないと思ったのは、見てる人は案外と作品を素通りしてるんですよね。まぁ、巻物になっていて作品自体が長いものが多かったというのもあると思いますけど、最初の方だけちょろっと見てすませる人のなんと多いことか。いくつかの作品の前にはひとだかりができていましたが、巻物の最後の方はがらすきでした。入場者自体も少なかったしなぁ。
ショップの売り物も、中国系の書の展示のときとは大分雰囲気が違っていました。筆が吊ってあるのはいつものこととして、お香とか売っているのは実に日本的なんじゃないだろうか。最初は、今回は図録を買うことはないだろうと思っていたのですけど、作品を見たあとではその誘惑に耐え切れずに買ってしまいました ^^;;;
展示は江戸時代までのものだったのですけど、展示室の別のところで明治以降の書の作品がいくつか展示されていました。なんか星型の模様があったりして、なんか日本的な感じだったなぁ。
それにしても、今回の展示を見て思ったのは、この日本で独自に積み上げられてきた書の歴史に対して、自分の持っている書というのはどういう位置付けになるんだろうという疑問でした。
私はかなはやらないし、臨書ももっぱら中国の古典から取ってきています。
大体、この形式は比田井天来や手島右卿らの、古典を重視し古典に立脚した上での創作という考えの延長にあります。でも、中国の書は、唐で楷書が成立してからあとは、個の時代に入ってしまい、ひとつの大きなムーブメントを作るには至らなくなっていきます。日本の書は唐代の書に端を発しながら、日本で独自の進化をとげて、かなの確立に進むわけで、そういう意味では中国よりも新しいムーブメントを作り出してきているのですよね。
戦後に始まった一字書などのスタイルも日本での独自のスタイルです。
でも、これから先、まだ新なムーブメントを生み出す余地はあるのでしょうか?
上野から秋葉原経由で神保町まで歩きました。
ちょっと秋葉の裏手の、昔はパソコンや電気部品やらを売っていた界隈をのぞいてみたら、大量のメイドさんが客引きしてるし ^^;;
なんというか数メートル置きにいるんですよね。すごいなぁ。
でも、すぐその近くにはラジオデパートで真空管やらコンデンサーやら売ってるわけで。
もうわけがわからないよ^^;;
神保町で色々と見てまわるつもりだったのですけど、最初の書泉グランデで長居してしまって、気が着いたら暗くなっていました。
いえ、最近スワロウテイルのシリーズを読んでいるのですけど、その4冊目の最終巻が最近発刊されたはずだったのですよね。
Amazonの書評にも上がっているからもう出てるはずなのですが、新宿ではみつけることができませんでした。
で、ここにはあるかな、と思って見てみたらありました。
しばらく中見をつまみ読みしてたら時間がたってしまったのでした。
スワロウテイルシリーズは籘真千歳の著作で最初の「スワロウテイル人工少女販売処」に、2冊目の「スワロウテイル/幼形成熟の終わり」、それから3冊目の「スワロウテイル序章/人工処女受胎」、そして今回の「スワロウテイル/初夜の果実を接ぐもの」で一応の完結を見ます。
種のアポトーシスという病のために、男女が別々に分けられて生活する東京自治区のなかで、人間は第3の性としての人工妖精を作りだし、その伴侶としています。でも、その自治区は海外や、本国の日本などとの関係が微妙なバランスななかでかろうじて自治を守っています。その中で、自治区の運命っや人工妖精たちの未来、そして人類の未来のかかわる事件に、主人公はまきこまれていきます。
分野的にはハードSFではないですね。科学的な考証は、未来のことということでかたづけられているような。むしろ、この作品は「こころ」のあり方や哲学的な内容についてかなりのページを割いています。登場人物たちがかなり理屈っぽいんですよね。
でも、その実、彼らはまたかなり不器用でもあって。
それにどことなくラノベっぽい表現もあったりします。
結構おもしろい作品だと思うんだよなぁ。
ついこのあいだ、「スワロウテイル人工少女販売処」を読み終えて、「スワロウテイル/幼形成熟の終わり」を読んでるところです。
かなり遅くに読みはじめたことになりますね。最初の本が出たときにすぐに買ってあったのですけど、ずっと読書のキューに入ったままつい最近まで置かれていたものですから。
当然、何冊にか続くシリーズの場合、その続きを持っているかどうかわからないわけで。時々山をくずして確認していたりするのですけど。
で、1冊目がおもしろいから、どうだったかな、と思って山を探してみたらちゃんと2冊目も3冊目も買っていました。キューの先頭に持ってきておいたし。
以前はラノベも結構読んでいたんですけど、最近はかなりの量が早いペースで出てるんで追いつけないんですよ。だからラノベはほとんど買ってないし。(いくつかは時々買うんですけど。ハルヒとか おと×まほ とか。)
最近は通勤時に読書する時間が増えたので、へたばってないときは読むことができるようになって、それなりにペースが上がっています。
最近気になっていたのは魔法科高校の劣等生。とはいっても小説の方は読んだことがなくて、漫画の「劣等生」と「優等生」の方で内容を知って興味があるという感じ。漫画版は結構おもしろいです。スピンオフの「優等生」の方が個人的には好きだな。