ネタがない。
ということでボカロネタ。
昨日の千年食谱颂ですけど、曲は結構好きだし、動画の部分も好きなところもあるんですけど、どうにも残念クオリティーなところがまざっていたりして。日本と違って、マンガアニメ文化が浸透していないので、そうなるんでしょうか。
いえ、親しんでいるからと言っていい作品を作れるわけではないですけどね。ただ、作れる人は、その最初の部分ですでにあるマンガアニメ文化を足掛かりにできるわけで。そういうところ、これで紹介した本の内容を思い出してしまったわけです。
この前リンクした千本桜は、実は曲を実際に聞いたのはここ数ヶ月前だったりします。
興味を持ったきっかけは、「小説千本桜」( 黒うさP (原作), WhiteFlame (原作), 一斗まる (著・イラスト))だったりします。
本屋で読んでおもしろいな、と思って買ったんですよね。
で、最近読んだのが、「初音ミクの消失 小説版」( cosMo@暴走P (著・原作・ピンナップイラスト), 阿賀 三夢也 (著), 夕薙 (イラスト))
これの元になったのは、同名の曲ですね。
本のあとがきで、この曲の作者が書いていたんですけど、初音ミクは使う人がいる限り生き続けるが、使う人がいなくなった時点で死ぬ、と。そしてそのことをイメージして作った曲らしいですね。
使う人次第で色々と展開していくというのは同意できるし、使う人がいなくなった時点で終わる、という意見にも同意できます。
ただ、それがいつになるかはわからないし、そもそも使う人がいても作る側がなくなることで使えなくなることもありうるわけで。
OSのアップデートによっては古いアプリが使えなくなりますよね。
それに追従してメーカーがアプリのアップデートをしてくれているうちはいいのですけど、なんらかの理由で製造ができなくなると、使いたくても使えないということにもなるわけで。
使う人がいなくなるのが早いか、作る人がいなくなるのが早いか。
ボカロはメーカーが販売物として扱っているもので、よっぽどのことがない限りは技術を公開するとは思えないんですよね。
そしてその技術を継承する者がいなくなったら、技術的に終焉を迎えるわけで。
オープンソース化されれば、あるいはかなり長期間残ることができるかと思うんですけど。それこそ、作る側と使う側の好奇心が満足される限りは続くという。
錆び付いた技術でも、それに興味を持つ人っていうのはいたりするものですよね。
まぁ、ボカロの場合、歌としてだけではなくて、その他の方面として残る可能性はあるんですけど。
ある意味、初音ミクは概念の存在なのかもしれない。
って、まど☆マギですかい。でも、あちらはフィクションの中の存在だったけど、こちらはリアルでの存在なわけで。
さて。
さてって、全然曲の紹介でもなんでもないですよね。