お、おもい。
.Net のアップデータが入ってたせいか、やたら重いです。
確か緊急性の高いパッチも入ってたはず。
まぁ、放っておけば大抵はインストールされるんですけど、思わず自分から取りに行ってしまうあたり。。。
package経由での起動とmake install による挙動の違いの原因が段々と見えてきてます。
ただ、SKK の設計(?)上の根幹に係わるような考え方の問題があって、MLで議論が行われています。
多分、私のスタンスはマイノリティーなんじゃないかなぁ。
Emacs の最大のメリットはカスタマイズできることだと思うのです。
でも、そこに package を持ってきたときに、人は何を望むか。
というか、そもそも package.el を導入した人は何を意図して作ったんだろう、というのが私の個人的な疑問です。
カスタマイズできるのはあたりまえだし、できなければおかしい。
でも、わざわざ package でインストールするときに、ある程度環境が整っていない状態の package があったとして、そこにメリットはあるか。
その elisp のツールをずっと使っていた人ならそれで何ができるかわかるわけだし、どうやっていけばいいのか、という勘所があると思います。
でも、package であれだけ大量のアプリがある中から、その機能の説明で惹かれてインストールした人にとって、何でも自由に設定できますよ、という状態であったときに、やっぱり戸惑うんじゃないかなぁ。
いや、根本的に私が何か勘違いしてるような気もするのですが。
昔、Meadow で package-install があったときは、ツールをすぐに使えるようにする、というのが根本にあったような気がします。そもそも、Meadow の前身の Mule for Windows からして、本の付録だったソフトなわけで、初めての人でも気楽に導入できるように工夫されていたんですよね。
私もそれがあったから本格的にEmacsの世界にのめりこんだわけだし。(しばらく遠ざかっていましたけど。。。)
実際のところは、その2年ぐらいかな、前には Emacs にも SKK にも触れていたんですが。当時はともかく configure もなかったから、自分の環境に合わせて Makefile を書き変えて、それでEmacsをコンパイルして使っていたものです。一応一通りは試しましたよ。Wnn とか cannna とか。でも、全部 Emacs で閉じてくれる SKK が一番魅力的でしたね。当時はコンソールに直接日本語を使うなんてことはありえませんでしたから、エディターの中で、しかもエディターの機能だけで日本語入力できるのは、文字通り simple な方法だったわけですね。
うう。
どの分野でも同じですけど、最近は色々なところで複雑化が進んで、しかもそこに色々な思想が入ってきているので、そのルールにのっとってやらないと、他の人がわけわからなくなってしまうんですよね。
そういうのをすっとばしてべき論を言ってしまうあたりマイノリティーなのかなぁ、とか。それに、かなりそもそも論に入ってしまうから、議論に悪い影響を与えないかが心配です。