今朝は医者に行ってかなり待たされました。
本当は医者に行く日ではなかったのですが、風邪がなおってなかったので、風邪の薬を処方してもらうついでにいつものやつに行ったという感じ。
で待っている間にかなり降られて。
そして、沖縄奄美では梅雨入りしたみたいです。
ちょっと季節からははずれていますが。。中国のボカロの Stardust のです。
さくら~、さくら~、って。
【星塵原創曲】櫻之狂想曲 (民族系列之二.Cherry Blossom Rhapsody)
鼻そうめんPさん(つまり かんざきひろ) さんの曲もみつけました。
【初音ミク】scapecoat【オリジナル】
今月は1回しか行けないんですよ。先週は COMITIA だったし、来週は未完の飲み会だし。
で、今日から競書の試験がはじまっていて。
創作と師範の部のは集字しないといけないので、臨書から。
今年は褚遂良の枯樹賦が課題になっています。
10年ぐらい前も同じ課題が取り上げられていたんですよね。
その時に法帖を買ってあって、そちらも参考にしています。
いや、課題として出された元のコピーの質が悪くて細部とかつぶれていて見えないんですよ。拓本の傷の入り方やかすれからおそらく同じ拓だと思ったので、そのまま参考にしています。取った時期とか人によって拓本の質は微妙に変わるんですよ。時代が下ると石碑は摩耗するし、補刻といって見やすいように線を彫りなおされたりすることがあるんですよ。補刻はやった人がちゃんとわかっている人ならマシですが、形だけ強調するように行われることが多くて、元の碑を台無しにしてしまうこともあります。元の碑が現存していない場合はそれを参考にするしかないんですけどね。
王羲之みたいに真蹟(本人が書いたもの)が残されていない場合はさらにややこしくて、臨書とか謄模されたもののさらに碑にされたものの拓本とか、そういったものしか残っていない蘭亭序とかはかなり悲惨ですね。もはや元帖がどのような姿だったかはそれらの比較等から想像するしかないのですから。実際にどう書かれていたかなんてわからないんですよ。ただ、羲之の書に対してほぼ同時期の楼蘭からみつかった木簡等の資料が似たような書法で書かれていたのではないかという説もあるようで。そっちの方は個人的には信憑性が高いのではないかと思っていたりします。
そもそも、書道の臨書はなんのためにあるかというと、昔の人が書いた文字群の中に自分の理想とする「美」もしくは、そこまで行かなくても「心地良い」と感じられるものを見い出して身につける作業なのではないかと思うんです。当然それは幻想だし、自分の中の常に到達できない理想でもあるので、古人の作には追いつけない、と多くの書家が話しているのはそういうことなのではないかと思います。
ただ、書が他の音楽や絵画のような芸術と異るのは、あくまで感じやかなで作った文字や文字列を前提としてしか成立しない、極めてローカルな芸術である、ということでしょうか。
文字は意味を伝えるための道具であって、そこに意味を持たない形のおもしろさだけを追求したものが書では無いというのも結局はそういうことかと。文字としてのルールの範疇の中でしか議論できないものなんですよね。それを無視したり忘れたものは形や書くことを楽しむことはできるけど、書というよりも絵画、それも抽象画に近いものになってしまっているんじゃないかと思います。(それ自体を否定する気はありませんけど。)
で、文字としてのルールを遵守するためにも、結局は過去の書作品を参考に臨書をくりかえすことになるのですね。
これは私見ですけど、文字の書き方とかルールとかは時代を追ってその変化を見ないことには理解しにくいところがあって、そういう意味では楷行草だけではなく篆隷も学習することに意義があるかと。隷書って案外とリズミカルですし、慣れてくると篆書の中にもそういった一種のリズムのようなものが見えてきますし、それを受けついだ形としての後世の作品があるのではないかと。篆隷は基本は碑文ですから、実際に書かれたものの姿は木簡とかを探るのが有効なんじゃないかなぁ、とか。
やり方というのは人それぞれだとは思いますけど、私の場合はかなり長い間木簡をやってきたし、篆書や隷書もやってきたので、その目で今回の枯樹賦を見ると、10年前に見えていたものとは違ったものが見えてくるなぁ、とか思たり。
あー、いつものことですが、この日記に載せているのは展覧会とかの作品以外は練習段階の、しかも一番良い物は提出してしまったあとのものだったりしますので、当然そんなにうまく書けていません。2番目に良いのも基本、丸とか添削の朱が入っていますから載せられないんですよ。落款も印もないからちゃんとした作品でもないですしね。
と、ちょっと言い訳。