午後から高円寺に移動。
夕方から葬儀屋の式場で納棺式に行ってきました。
待合室の和室に、浅い浴槽の上に渡されたストレッチャーの上に、服を脱がされ、裸体が見えないようにタオルがかけられた父の遺体が横たえられていました。
浴槽の横に家族が並んで座ったところで、まずは末期の水を遺体の口に含ませました。
それから湯灌がはじまりました。
納棺師のひとりが髪をシャンプーで洗い、もう一人が足から胴体へと身体を石鹸をつけたタオルで拭いました。そしてシャワーで流して。
髪は二度洗いしていて、二回目のときは家族も洗うのに参加できるということで、母と弟が洗ってあがていました。
おもしろいもので、死後硬直が解けてきているので表情もゆるんでいたし、洗うたびに頭が揺れる様が、気持ち良さそうに風呂に入ってるようにも見えたものでした。父は風呂が好きだったので、それだからこそこの湯灌を選んだというのもありますしね。
水をぬぐったあとで髭を剃り、一旦別室に私たちが移動しているあいだに死に装束への着替えをしていました。
白い経帷子を着せられて布団の上に横たえられた父の遺体の横に戻ったところで、死に化粧を。そのあいだに、家族たちの手で白い足袋に脚絆、手甲を、三途の川のあとの旅路で落とさないように固結びになるように結びました。
死に化粧は薄くナチュラルに見える形のものを。
三途の川の渡し賃と言われる六文銭をずた袋に入れて懐に入れ、棺桶に入れる前に全身が見える最後の状態で5分ほど家族の時間を。
それから遺体を棺桶に移動しました。シーツごとみんなで遺体を持ち上げて棺桶に入れました。
遺体の保護のためドライアイスを入れて、副葬品を入れてあげました。
昨日煎ったばかりのコーヒー豆に、封を切ったばかりのたばこ、佃煮に餅にお茶付け(懐中汁粉みたいなやつ)、父が旅行のときに使った地球の歩き方のドイツの、行きたい所リストを書いたノート、ゴルフのピンなどを入れました。
足元には草鞋、頭上には三角の頭巾をつけた笠を入れてあげ、右手のところには邪を払うための金剛杖を置きました。
それから布団をかけてあげ、その上にいつも着ていた羽織物をかけてあげました。いつもの父のような感じに見えました。
棺桶の蓋が閉められ、それで納棺式が終わりとなりました。
棺は明日の葬儀の式場に移動され、そこで焼香をしました。
死に化粧のときに塗っていたちょっとてかっていたものが、そのころにはよく肌に馴染んでいたようで、肌がかなり血色の良い色に変わっていました。
今のご時世、下手すれば病院の看病もできず、死んだあとは遺体どころか骨と対面という人も多い中、死の前からかなり濃密な時間をすごすことができたのではないかと思います。
家に戻って明日からの話をしたあと、関町の方で食事をすることに。
弟が行くつもりだった中華料理屋は12日から14日まで閉まっていたみたいで、しかたないので近くのびっくりドンキーで夕飯を食べ、それで解散となりました。
明日は葬式です。