午前中は、新国立美術館でやっている日本の書展に行ってきました。
公募のところにうちとこの教室の人も出しているので。
基本は日展やら毎日展やらの人たちの作品が展示されています。
公募は臨書のみ受けつける、ということで出品していたんですけど、私の作品は落ちてるんですよね。
先生が選考の人に聞いてみたらしいんですけど、結構おとなしい作品とかが選ばれてるみたいです。独立で好まれるようなものとは傾向が違うみたいで。次の応募のときはもう少し対策を練らなくてはいけないね、という話を先生としてきました。
東京での開催での公募の方の展示は来週は別の人たちの展示となるので、来週も行く予定です。
で、乃木坂から田無まで直行。(途中、とらのあなに寄り道してサンクリカタログをゲット。)
で、競書の試験の随意部の作品を書いていました。
写真のがそれです。
前漢の木簡から一部を臨書したものです。
漢の時代というと隷書の時代なんですけど、いわゆる隷書は石に彫られたもので、書かれたものとは少々違うと言われています。実際のところ、石碑の書体を筆で書けるようになったのは明清の時代になってからです。
では、当時はどのような手書の文字を書いていたのか。
というのが漢簡に見えるわけですね。
石に彫られた隷書は横画が水平か、もしくは若干右下がりに書かれていますが、右手に筆を持って自然に書こうとすると、この水平な線というのは不自然になります。筆を握るところを想像(もしくは実験)してみるとわかるのですが、文字は右手の左側に書かれます。そうすると、右の肘、もしくは手首を中心として横線を書こうとすると、肘や手首を中心とした円弧が描かれるわけで、それは自然に右上がりになります。
草書が石に刻まれる時代となってくると、書かれた字が以前よりも忠実に再現されてきているため、この右上がりの線が出てきています。
有名な王羲之とかの書は右上がりの線で書かれています。
続く行書や楷書の時代でも、その筆記体としての形が引き継がれて、右上がりの線が表現されることとなります。
漢や秦の時代では、刻まれる文字は基本的に公式の形式ばった文字であって、形としても整形されたものになっています。それで、篆書や隷書は水平な横画が作られているわけです。
同じことは現在の私たちもやっていますよね。
今目にしているフォントとか、印刷に使われる活字は、通常使われるものは横画が水平になっています。
正式な書体と書くための文字は違うということですね。
ある意味、活字の形をそのまま子供に教えるのは本来はナンセンスなんですよね。
書くという力を削ぐことになるから。
と、色々と言っていますが、家に帰ってみたら毎日展からの落選の通知が来ていました。
がっくし。
この春は全滅かぁ。。。
とりあえず、夏から独立の本展とか来年の日本の書展とか武道館とか、秋にある昇段級試験やら色々とあるので、そっちでがんばらんといかんなぁ。。。
少なくとも最近は独立や武道館とかに落ちたことないけど、それで落ちたり成績が落ちたりしたらシャレにならん。。。